Vol.3 語り手 田中啓次氏

アルバローザを巡るさまざまなこと

戦後のファッションを見直す機運が盛り上がっている。そんな中以前からアルバローザを知る人々に「アルバローザの現象とはなんだったのか」「日本のファッション史の中のアルバローザとは」等をテーマに、それぞれの立場から見たアルバローザについてお話を伺うシリーズの第3回目。
今回は、アルバローザ初の試みとなるライセンス契約で化粧品部門を担当し、実現・成功に導いた立役者ソニーCPラボラトリーズ(SCPL)の元社長田中啓次さんをお招きして当時の舞台裏を語っていただいた。

田中啓次 氏

プロフィール
1979年、株式会社CBSソニーグループ(現ソニーミュージック)に入社し、グループ会社である株式会社ソニークリエイティブ・プロダクツ キャラクター営業部に配属。
「うちのタマ知りませんか」「バイキン君」などのキャラクターライセンス商品を
多数手がける。
1984年、同社新規ビジネスとしてスタートした「化粧品開発営業部」へ異動し、化粧品営業・販売の第一線で活躍。1996年に同部門が株式会社ソニー・CPLとして分社独立し、2年後、アルバローザのサンケア商品「サンタン・サンケア」を発売。
サンケア商品、ネイルやリップグロスなどを多数企画・販売に関わる。

第3回 ソニーにおける化粧品事業は
アルバローザを愛する社員の熱意で商品化、そして成功した

1998年頃から7年間、アルバローザの化粧品がソニープラザなどで小売販売されていた時代がある。その商品は、ソニーCPラボラトリーズ(以下、ソニー・CPL)が主体となって企画・制作・販売を行う、いわゆるライセンス商品の化粧品だった。初めはメイク商品を主体としていたが、その後ナチュラル系のスキンケア商品を中心に取り揃えたセカンドブランド「アヌエヌエ」を発表。2005年まで展開を行った。ソニー・CPLの元社長としてそのすべてに関わった田中氏に、アルバローザとの関わりやその商品展開についてお話を伺った。 

ソニーCPラボラトリーズ
『anuenue グランドデビュー』カタログ 2003年2月

ソニークリエイティブ・プロダクツから
ソニー・CPLが独立、そしてアルバローザと出会った

 1995年頃、僕は、ソニークリエイティブ・プロダクツの化粧品営業部に在籍していました。当時ソニーは、「機関車トーマス」や「スヌーピー」などの版権を持ってキャラクターグッズの販売ビジネスを展開していましたが、僕がいた化粧品部門が1996年に分社独立することになったのです。

 ちょうどそのタイミングでプランナーの松山未典(みのり)という女性が入社、新会社の新規事業として「アルバローザ」との提携を提案してきたのです。彼女自身がアルバローザの熱烈なファンで何としても関わりをもちたかったようです。
 しかし、そんな前のめりの松山に対して、僕は「一度、待て」と制止しました。実は、アルバローザのことをよく知らなかったのです。「何となくハイビスカスのロゴが目につくな」程度の認識しかなかった、というのが正直なところでした。
 また、アパレルは外に出て人に見せる「攻め」のもの、化粧品はドレッサー周りに置いて家の中で使う「守り」のもの、という感覚が僕にはあって、アパレルと化粧品を同じカテゴリーで扱うことに違和感があったのです。 
そして何より、化粧品は自分の肌に使うものだから機能が大事。その根本の部分が化粧品メーカーとしてまだしっかりしていないうちにファッションブランドと提携してライセンスを受けても、“絵付けビジネス”にしかならないなと思ったのです。僕はこれまではノートやお弁当箱などの雑貨にキャラクターを提供するライセンサーとして仕事をしてきました。その際、ビジネスパートナーには「単なる絵付けビジネスではなく、いい物をつくりましょう」と話してきましたから、逆の立場になったからといって、その考えを曲げることはできませんでした 。

ソニークリエイティブプロダクツ
『SNOW BOARDING ― ’96-’97 Winter』カタログ
ソニークリエイティブプロダクツ
『ALBA ROSA 1998 Pocket Book Collection

-‘97.10.7①RELEASE』流通用カタログ 1997年

「自分たちが使いたいから作る」という
モノ作りに対するアルバローザの方針に心が動かされた

 しかし、松山は諦めません。雑貨であれば比較的提携しやすいと考えた彼女は、他部署にアルバローザとの事業の提案をしたのです。そちらではスノーボードや手帳などの商品化が実現し、失敗や成功を重ねながら、松山はもちろん、会社としてもアルバローザとの関係を築いていきました。
 一方で僕は、アルバローザを理解するために渋谷109の地下にある「ミージェーン」や横浜の「ジョイナス」の様子を見ようとしましたが、素敵なファッションのお姉様方に圧倒されて、なかなか店内に入れないこともありまして……。このような方たちと接して一緒にビジネスをすることができるだろうか、とすっかり怖じ気づいていました。
 そんなある日、松山から「アルバローザの市川社長(当時)とアポを取ったので一緒に来てほしい」と誘われ、表敬訪問のつもりで本社に伺いました。
 そのときの第一印象が大きく心に残ったのです。まず、社員のみなさんがご挨拶を含め非常に礼儀正しく、素晴らしかった。それまで僕が勝手にイメージしていた“怖い世界”とは全く違っていました。いわゆる体育会系の社風ですが、個々人のパワーが強く、会社対会社としての親和性を感じました。また、アパレルと、化粧品と表現する商品は違いますが、マーケットに媚びるのではなく、「自分たちが使いたいから作っている」というモノづくりのプロセスも我々の会社と非常に似ていて、一緒にビジネスができれば大きなイノベーションが生まれるのでは?!と感じました。
 その後、アルバローザの忘年会に出席する機会が訪れたのです。普通、忘年会とは、発注側が接待され持ち上げられる側になりますが、アルバローザでは全く逆。発注側の会長、社長以下、全社員に、「みなさんがあるから自分たちがある」という協力会社に対するホスピタリティや感謝の気持ちが浸透しているのです。その考え方は素晴らしいなと感動しました。その忘年会を機に、この会社と一緒に仕事をしてみたいと真剣に考えるようになったのです。

『Vacance-SUMMER'98』カタログ
ソニーCPラボラトリーズ
『アルバローザ夏のラインナップ!!
-98年4月6日(月)発売』
流通用パンフレット 1998年

お客様に手に取ってもらうために
ソニープラザの売り場が大きな存在感を示した

 アルバローザの化粧品を販売するにあたって、市川社長と最も話し合ったのは売り方についてでした。化粧品の提携がスタートした1996年頃は、バブルが崩壊して数年が経過し、世間的にも不況が意識されるようになった頃です。化粧品業界では、百貨店や街の専門店中心の高級路線から、マツモトキヨシなどのドラッグストアやGMSに売場が移行し、プチプラコスメが人気を集めていました。その一方で、業界全体の売上高は2兆数千億円と大きな伸びを見せていて、高い物は売れないけれど安い物がたくさん売れるという時代になっていました。そのなかで、アルバローザのブランドイメージをどう維持していくかが大きな課題で、その点について主に議論を進めて行きました。
 ドラッグストアでアルバローザの商品を売るとなれば、必ず値引きされてしまいます。そういう売られ方を社長も僕自身も望んでいませんでした。一方で、我々メーカーの立場からすると、リップクリームを1つ作ると5000店くらいには商品を置かないと利益が出ないのが現状でドラッグストアはどうしても外せません。
 しかし、ドラッグストア用の商品はうちでは他にも作っていたこともあって、アルバローザの商品は、定価で売ってくれて1店あたりの売上げが狙えるお店のみにして、多店舗に商品を置くのと同じ売上げを上げる方針に切り替えました。
 ちょうどそのころ、ロフトや東急ハンズといった、百貨店とドラッグストアの中間的なバラエティショップが存在感を増してきて化粧品も取り上げるようになっていました。そこがうまくマッチングしたおかげで最終的には優良500店に絞れました。なかでも我々のグループであったソニープラザの存在は大きかったですね。
 ただ、これらのお店では1万点以上の商品がずらっと並んでいます。ライバルは有名なブランドですし、当然どのお店も接客はしません。そのなかで、お客様の手に取ってもらうにはどうしたらいいのか。社内で議論を呼びました。
 商品につけるハイビスカスのロゴで目を引くようにするのがいいのか。ロゴは大きいほどいいと考える人は僕も含め男性陣に多かったのですが、プランナーの松山は「それは違う。ハイビスカスのロゴで売るのではなく、まず機能で売って、パッケージの裏を見たらアルバローザなの? と思わせるほうがおしゃれだ」と主張しました。
 では、どうお客様に訴えるのか。そこで、商品を置く什器にこだわることにしました。商品が女優だとするならば、什器は舞台。女優が映える舞台を作ることでお客様の目を引くことにしたのです。
こうして、最初はネイルやリップグロスからスタートして、サンケア商品などを中心に好調に売り上げを伸ばしていきました。

ソニーCPラボラトリーズ
「フロア ディスプレイ デザイン」 1999年
ソニーCPラボラトリーズ 「ポストカード」 1999年
ソニーCPラボラトリーズ 「ポストカード」 2000年

原点に戻ったサブブランド「アヌエヌエ」
凝った作り込みを意識したボトルやパッケージが魅力

 2002年からは、アルバローザにサブブランドをつけた、アルバローザ・アヌエヌエを立ち上げました。「アヌエヌエ」は、虹のふもとを掘ると宝物が埋まっているというハワイの伝説にちなんだ言葉です。こちらは肌に優しい、刺激の少ないスキンケア化粧品を中心に商品をそろえました。
 なぜサブブランドを立ち上げたかというと、スキンケアは自分の肌にマッチすれば、メイクよりも長く付き合ってもらえるので、当初からそちらへの移行を考えていたこと、オーガニックや自然派的な商品が動き出してきた時代背景なども理由ではありますが、アルバローザの顧客層がギャル系にシフトして年齢層が下がり、世相的に踊らされている違和感もあったので、一度原点である「Helthy&Sexy」に戻りたいと思ったのです。
 これには反対意見も当然ありました。そこで、ソニープラザの中で、アルバローザの大ファンでインフルエンサーの販売員に商品を売ってもらって成功例をつくりました。彼女たちにアルバローザ・アヌエヌエを気に入ってもらえれば、社内でも「素敵でオシャレないい商品だよ」と宣伝してくれます。
 また、アヌエヌエでは流通先をアルバローザよりもさらに絞り込み、商品を卸すお店を指定させてもらったため、流通政策でもかなり抵抗されました。流通先についてメーカーが口を出すことは通常ありえないことですから。
 さらに、売場面積は大手のブランドが使用する1200ミリの什器がおける場所を要求しました。各メーカーがしのぎを削る中、面積に見合った売り上げを上げるのはなかなか大変なので、かなり強気の戦略です。ましてやこの什器には120~130品目ほどの商品をずらっと並べるのが一般的なところ、アヌエヌエではその半分以下の50~60品目にして空間をぜいたくに使い、そのステージを見た瞬間に春夏、秋冬を感じさせるビジュアルを展開したり、使用するアクリル板にはウッディーな装飾を施したりするなど、什器には一段と力を入れました。商品のボトルやパッケージも化粧台に並べるだけでHAPPYになるような、捨てるのが惜しくなるような凝った作りこみをしました。

ソニーCPラボラトリーズ
「アヌエヌエ フェイスパウダー701」 2003年
ソニーCPラボラトリーズ
「アヌエヌエ サーフィンマスカラ251」 2003年

女性たちを勇気づけ、明日も頑張れる
そんなコスメの存在だから事業にする意味があった

 女性は一生のうち、かなりの時間を鏡の前で過ごして、朝と夜、オンとオフを入れ替えているのだと思います。化粧水は単に肌を潤わせるものでなく、ボトルのキャップを開けた瞬間、女性たちを癒しそして勇気づけ、また明日も頑張ろうという気にさせるアイテム…アルバローザのコスメをそういう存在にしていきたい。それこそがこの事業をやる意味だと思っていました。
 おかげさまでアヌエヌエは根強いファンに支えられ、2005年まで存続することができました。アパレル撤退後も続けられたのはアヌエヌエというサブブランドだったからなのかもしません。
 アルバローザとの提携はとても冒険的な事業でした。目線が将来を向いていたので、非常にぜいたくに商品を企画・開発・販売することができたのです。それが結果的には化粧品会社として足腰を鍛え業界における存在感の確立に繋がりました。そして、それを会社が許してくれる、とてもいい時代に仕事ができたと思います。

ソニーCPラボラトリーズ 『anuenue SKIN CONSCIOUS』 カタログ 2005年